もしお時間に余裕があったら、こんな遠回りもおすすめです。
綾瀬中央霊園セントフィアから徒歩10分ほどの距離にある城山公園。2001年6月に再整備された、市内で2番目に大きい公園です。
平安時代末期、現在の綾瀬市のエリアで勢力を奮っていたのが渋谷という武家の一族です。著名な歴史書『吾妻鏡』に、奥州に落ち延びる源氏の重臣を渋谷重国(しげくに)が保護したという記録が残されていることから、当時から強い力を持っていたことがわかります。
その後、源頼朝の御家人となったのが重国の子高重(たかしげ)です。彼はこの早川に拠点を置き、姓も早川に変えて本格的に一族を統一しました。その折に築城されたのが早川城(はやかわじょう)で、その城跡がこの城山公園に相当します。つまり、早川という地名そのものが、城山公園の歴史の重みと一致するのです
因みに、渋谷高重の兄・光重は、後に地方統治のため息子5人・通称渋谷五兄弟を薩摩へ下向させますが、その子孫が、軍人として古今名高い東郷平八郎です。その証として、公園内には、平八郎自筆の記念碑が建てられています(斜面が急な場所にあるため、撮影はできませんでした。訪れた方は是非探してみてください。とても立派な筆致の碑です)
非常に由緒ある城山公園ですが、実は城跡としての実態は文献資料には残されていないため、長い間詳細は不明なままでした。
そこで、綾瀬市教育委員会が1989年から6年の時間をかけて学術調査を実施。城郭関連遺構が数多く、しかも良好な保存状態で発掘されたことにより、縄文時代から集落が営まれていたことが明らかになりました。
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それでは、城山公園を見て回ってみましょう。
ゆとりある入り口の隣には駐車場、階段を上がった広場には駐輪場やバイク置場も完備されています。
左手には管理棟。
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その奥には炊事棟とレクリエーション広場が続いています。お弁当を持ち寄っている方もいて、地域のみなさんの憩いの場として定着しているのがわかります。
実際に炊事場を利用したい場合は、管理棟もしくは綾瀬市役所にお問い合わせください。
広場を左手に階段を降りると湿生園が広がっています。八橋のような橋が伸びていて、風情があります。
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広場を右手に曲がると幼児広場、その先は遊具広場が広がっています。特に遊具広場には、最近ではなかなか見かけなくなったロングローラー滑り台や様々なアスレチック遊具が置かれており、子どもの遊び場として最適です。
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遊具広場の先の竹林を抜けると、立派な造りの日本庭園が。
特に近隣の竹林は、夏場に蛍が見られるというレアなスポットです。
少し戻って、レクリエーション広場を直進してみましょう。公園の中でも大きな面積を誇る桜の広場が目に入ります。その名の通り、ソメイヨシノやヤマザクラなど約200本の桜の木が植えられた広場で、3月下旬には「かながわの花の名所100選」に選ばれた名木の鑑賞ができます。
ベンチに腰掛けたり、ブルーシートを敷いてお花見を楽しんでいる方が多数いらっしゃいました。
公園内は、豊富な樹木が植えられています。
5月中旬・10月中旬になると、バラも見頃になるとのこと。
最後に、城山公園へのアクセスをご案内します。
海老名駅から行く場合は、綾41または綾43の路線の相鉄バスに乗ってください。経由地が異なるだけで、どちらの路線も城山公園に向かいます。綾41の方が走行本数が圧倒的に多いですが、綾43より5分ほど時間がかかります。海老名駅から城山公園まで約20分弱です。
バス停の目の前が公園入り口です。入り口広場の真ん中に建てられたスタイリッシュなデザインの時計が目印です。
綾瀬中央霊園から行く場合は、霊園沿いの道を東に進みます(登り坂になっているので、足腰に不安がある方はご注意ください)。
2本目の曲がり角に差し掛かると、水色のプレハブが見えますのでここを右に曲がりましょう。
開けた道を通ると…
一気に住宅街に入ります。
そのまままっすぐ歩けば到着です。霊園からは10分強くらいで着くので、散歩にはちょうどいい距離です。
お参りに行く前後に、歴史ある公園を巡ってみるのはいかがでしょうか。